ここは亡くなった両親が一番好きなホテルだった。 「いつか一緒に泊まりましょうよ」 母はいつもそう言っていた。 「朝食が美味しくて素敵なのよ」 幸せそうにつぶやく。 その話になるといつも私に語りかけた。その頃の私は、仕事一筋で心をはこぶ余裕がなかった。 父と母はいつ訪れたのだろうか。しばらくして私はホテルを訪れた。 裏庭が一望できるロビーには、とても大きなドイツ製の一枚ガラスの窓があって、風景が一枚の絵のように広がっている。赤い絨毯が敷きつめられているせいか、かなりの人が出入りをしても音もなくとても静かだ。 落葉樹林の種類がとても多く、新緑のころには庭園を下に降りていったところにある、池や小川に光が差しこんで輝いている。 裏庭のボイラー室の近くに樹齢何年かわからぬほどの大きな落葉の老木がある。もしかすると、明治・大正・昭和・平成と修復を重ねながら激動の時代をかけぬけてきた生き証人のなのかも知れない。いつの間にか私もこのホテルが好きになっていた。